貴方の好きな名言は?第1回
2006年9月8日さて、そろそろ更新をと思い突発企画です。題して
『世界史コンテスト、貴方の好きな名言は?』
はい、捻りもなにもあったもんじゃありませんね。
ここでは私の好きな世界史の名言を幾つか挙げます。
私はこれが好き、知らなかったけどこれって良い言葉だね、というのがあったらコメントに一言頂ければ嬉しいです。まぁ、基本は私が私の好きな名言を紹介する、というだけですが・・・
・・・コメントがあるといいな
では第1回、「古代ローマ編」です
1、賽は投げられた!(ユリウス・カエサル ルビコン渡河時に)
日本でも有名な言葉ですね。元老院最終勧告により嫌疑をかけられたカエサルはこの言葉と共に軍団をローマへと進軍させます。
2、拍手を。幕は降りた(アウグストゥス帝 死去に際し)
カエサルの跡を継ぎ、ローマの内乱を収め皇帝となったアウグストゥス、以後千年以上続くローマ帝国の基盤を創るという偉業を成し遂げた彼の最期の言葉です
3、治世が短ければ、誰でも賢帝さ(ティトゥス帝死去時民間に流布した言葉)
ポンペイ火山噴火の救済、復興にあたったティトゥス帝、彼の治世はたったの2年間でした。その間にヴェスヴィオス火山の噴火、ローマでの大火事など様々な災害の復興を指導し、そして42歳の若さで亡くなりました。人々は彼を惜しみ悲しみましたが、中にはこんな事を言う捻くれものも居たようです
4、ガリラヤ人よ、汝は勝てり!(ユリアヌス帝、遠征中のペルシアにて最期の言葉)
コンスタンティヌス大帝がニケア公会議でキリスト教を公認し、ローマ帝国の国教になりました。それより2代後の皇帝ユリアヌス、彼はキリスト教を認めず、ローマ古来の多神教への回帰を宣言します。巧妙にキリスト教に打撃を与え、内部分裂を誘うなどをしつつ、それを決定的なものにする為ペルシアへと遠征します。しかし、彼は負傷し倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。彼の死後、再びキリスト教は勢力を盛り返します。この言葉は、キリスト教に伝わるユリアヌス帝最期の言葉です。
5、帝位は光栄ある墓場なり(テオドラ皇后 ニカの乱に際して)
遷都以後のローマ帝国において最大の版図を築きあげたユスティニアヌス大帝、その彼についての記述はめけさんのHP『歴史ファンの大航海時代』にてベリサリウスが取り上げられているので、是非そちらを参照してください。この言葉はニカの乱というコンスタンティノープル市民蜂起に怯えたユスティニアヌス帝が逃げようとする時、妻であるテオドラが諌めた言葉です。逃げ惑うよりも、皇帝として死ぬ方を選ぼうとの言葉ですね。この言葉を聞き帝都に踏みとどまったユスティニアヌス帝は乱を無事鎮圧し、帝国の領土奪回に乗り出します。
6、ホスローよ、いずれ汝の王国こそが引き裂かれよ!(預言者ムハンマド ペルシアに送った使者の顛末を聞き)
預言者ムハンマドがアラブを統一し、メディナに首都を移すと、サラセン帝国はペルシア王国に使者を送りイスラム教への改宗を勧めます。親書を見たペルシア王ホスロー2世は一笑に付し、使者の目の前で手紙をズタズタに引き裂いてしまいます。これを聞いたムハンマドは怒り狂いこの言葉を言いました。彼の死後、この言葉は現実となりホスローの王国、ササン朝ペルシアはサラセン帝国によって滅ぼされます。
7、シリアよさらば!汝は敵にとってなんと良き地であろうか!(ヘラクレイオス帝、ヤルムーク敗戦後撤退中に)
英雄ヘラクレイオス帝も、イスラムの雄将ハーリドに負け彼の生涯の業績であるシリアを奪われてしまいます。そして撤退中に言った言葉がこれです。詳しく知りたい方はこれまた『歴史ファンの大航海時代』の英雄ヘラクレイオスをご覧になってはいかがでしょう?
これにて第1回を終了です。次回は時代を少し飛ばし「ルネッサンス編」を予定
『世界史コンテスト、貴方の好きな名言は?』
はい、捻りもなにもあったもんじゃありませんね。
ここでは私の好きな世界史の名言を幾つか挙げます。
私はこれが好き、知らなかったけどこれって良い言葉だね、というのがあったらコメントに一言頂ければ嬉しいです。まぁ、基本は私が私の好きな名言を紹介する、というだけですが・・・
・・・コメントがあるといいな
では第1回、「古代ローマ編」です
1、賽は投げられた!(ユリウス・カエサル ルビコン渡河時に)
日本でも有名な言葉ですね。元老院最終勧告により嫌疑をかけられたカエサルはこの言葉と共に軍団をローマへと進軍させます。
2、拍手を。幕は降りた(アウグストゥス帝 死去に際し)
カエサルの跡を継ぎ、ローマの内乱を収め皇帝となったアウグストゥス、以後千年以上続くローマ帝国の基盤を創るという偉業を成し遂げた彼の最期の言葉です
3、治世が短ければ、誰でも賢帝さ(ティトゥス帝死去時民間に流布した言葉)
ポンペイ火山噴火の救済、復興にあたったティトゥス帝、彼の治世はたったの2年間でした。その間にヴェスヴィオス火山の噴火、ローマでの大火事など様々な災害の復興を指導し、そして42歳の若さで亡くなりました。人々は彼を惜しみ悲しみましたが、中にはこんな事を言う捻くれものも居たようです
4、ガリラヤ人よ、汝は勝てり!(ユリアヌス帝、遠征中のペルシアにて最期の言葉)
コンスタンティヌス大帝がニケア公会議でキリスト教を公認し、ローマ帝国の国教になりました。それより2代後の皇帝ユリアヌス、彼はキリスト教を認めず、ローマ古来の多神教への回帰を宣言します。巧妙にキリスト教に打撃を与え、内部分裂を誘うなどをしつつ、それを決定的なものにする為ペルシアへと遠征します。しかし、彼は負傷し倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。彼の死後、再びキリスト教は勢力を盛り返します。この言葉は、キリスト教に伝わるユリアヌス帝最期の言葉です。
5、帝位は光栄ある墓場なり(テオドラ皇后 ニカの乱に際して)
遷都以後のローマ帝国において最大の版図を築きあげたユスティニアヌス大帝、その彼についての記述はめけさんのHP『歴史ファンの大航海時代』にてベリサリウスが取り上げられているので、是非そちらを参照してください。この言葉はニカの乱というコンスタンティノープル市民蜂起に怯えたユスティニアヌス帝が逃げようとする時、妻であるテオドラが諌めた言葉です。逃げ惑うよりも、皇帝として死ぬ方を選ぼうとの言葉ですね。この言葉を聞き帝都に踏みとどまったユスティニアヌス帝は乱を無事鎮圧し、帝国の領土奪回に乗り出します。
6、ホスローよ、いずれ汝の王国こそが引き裂かれよ!(預言者ムハンマド ペルシアに送った使者の顛末を聞き)
預言者ムハンマドがアラブを統一し、メディナに首都を移すと、サラセン帝国はペルシア王国に使者を送りイスラム教への改宗を勧めます。親書を見たペルシア王ホスロー2世は一笑に付し、使者の目の前で手紙をズタズタに引き裂いてしまいます。これを聞いたムハンマドは怒り狂いこの言葉を言いました。彼の死後、この言葉は現実となりホスローの王国、ササン朝ペルシアはサラセン帝国によって滅ぼされます。
7、シリアよさらば!汝は敵にとってなんと良き地であろうか!(ヘラクレイオス帝、ヤルムーク敗戦後撤退中に)
英雄ヘラクレイオス帝も、イスラムの雄将ハーリドに負け彼の生涯の業績であるシリアを奪われてしまいます。そして撤退中に言った言葉がこれです。詳しく知りたい方はこれまた『歴史ファンの大航海時代』の英雄ヘラクレイオスをご覧になってはいかがでしょう?
これにて第1回を終了です。次回は時代を少し飛ばし「ルネッサンス編」を予定
学「さて、今回はフランスの宮廷闘争の話です。」
生「聞くからにドロドロしてそうね。」
学「前回の終了はフランソワ1世がイタリアにおける権益を全て失った所ですね。」
生「結局フランソワ1世は皇帝カール5世に勝てなかったのよね。」
学「そんなフランソワ1世ですが、内政に関しては名君と呼んで差し支えない業績を上げています。この頃フランスはルネッサンス(文化復興)を迎え、中央集権化が進みヨーロッパ屈指の強国として栄えます。」
生「フランス貴族達がこぞって美術品の収集に乗り出すのもこの頃ね。」
学「しかし、フランソワ1世の死後、フランスに暗雲が立ち込めます。」
生「え?」
学「フランソワ1世の跡を継いだのがアンリ2世ですが、この人の妃が『フランス史上最大の悪女』ことカトリーヌ・ド・メディシスです。」
生「マリー・アントワネットじゃなかったんだ。」
学「スケールが違います。さて、彼女の夫、アンリ2世の頃、フランス国内に宗教改革の波が押し寄せます。」
生「1517年、ルターが教会につきつけた『95カ条の論題』から発展するプロテスタントの興隆運動ね。」
学「そうです。フランスにはプロテスタントの一派、カルヴァン派の教えが広がります(フランスにおけるカルヴァン派の呼称はユグノー)。アンリ2世はこれを徹底的に弾圧しました。」
生「あらら、キリスト教徒をそんなに弾圧すると・・・」
学「ユグノーもキリスト教の御多分に漏れず、弾圧に屈せず数を増やし続けます。その数はフランス全国民の3%〜5%だと言われています。」
学「さて、1559年、アンリ2世が死去してフランソワ2世が即位します。これにより、フランスの宮廷闘争の幕が開きます。」
生「ついに表題の宮廷闘争の始まりね。」
学「当事宮廷内にあった派閥は4つ、母后カトリーヌ・ド・メディシス、ギーズ公アンリ、モンモラシー大元帥、ユグノーです。
生「ギーズ公とモンモラシー大元帥の二人はフランス王宮のNPCね。」
学「このうち、当事の王妃の母がギーズ公爵家の出身だった事から、ギーズ公アンリが宮廷の実権を握ります。また、ギーズ公はカトリックだった為、ユグノーに対する迫害は益々厳しくなる一方でした。」
生「そういえばギーズ公、フランスイベントでもカトリックの大物っていう説明だったわね。」
学「これを見たカトリーヌ・ド・メディシスはカトリックであるにも関わらず、ユグノーと連携。なんとギーズ公アンリの誘拐を計画します。」
生「クーデター!?」
学「これを察知したギーズ公は国王をブロワ城からアンボワーズ城へ移動し、警備を厳重にします。そうとは知らぬユグノー一派は1560年ブロワ城を急襲し失敗、揃ってギーズ公に処刑されます。首に縄をかけ窓から突き落としたり、袋詰めにしてロワール川へ投げ落としたりなど、残酷を極めたそうです。(アンボワーズの陰謀)」
生「母后カトリーヌは?」
学「ユグノーとの関わり一切を否定し、切り抜けます。」
生「うわ、ひど・・・」
学「イタリア都市国家の名家でもしぶとさでは随一のメディチ家出身の彼女にしてみれば、当然の処世術でしょうね。」
学「さて、そうまでした権力闘争ですが、意外な形で決着が着きます。アンボワーズの陰謀と同年、フランソワ2世が急逝。弟のシャルルが即位してシャルル9世となると、母后カトリーヌ・ド・メディシスが摂政に就任し実権を握ります。」
生「なんだ、結局カトリーヌが宮廷闘争で勝つのね」
学「まさか、これで終わるわけがありません。」
学「摂政となったカトリーヌ・ド・メディシスはユグノーに対しての迫害を緩和し、融和策を採ります。また、ユグノーの首領、ナヴァラ家のジャンヌ・ダルブレやブルボン家のアンリとも接触を繰り返します。」
生「やっぱりユグノー寄りなのね、カトリーヌって。」
学「さて、そうでしょうか。これに対し、ギーズ公アンリはモンモラシー元帥と結託、1562年ヴィシー市にて数十人のユグノー虐殺を決行します。ユグノー戦争の始まりです。」
生「流石は宮廷闘争、ドロドロしてるわね・・・」
学「ギーズ公とモンモラシー元帥は異教徒撲滅を、ユグノーは暴君打倒を叫び計8回にも及ぶユグノー戦争の開始です。ちなみに母后カトリーヌは両派の間を行ったりきたりしながら保護者を求めていました。時にユグノー支援を、時にユグノー弾圧をと終始一貫しない態度を繰り返すのです。」
生「まさしくイタリア都市国家出身、っていう感じね。」
学「ところが内乱の最中、ギーズ公アンリもモンモラシー元帥も暗殺されてしまいます。1570年、母后カトリーヌは王女マルグリッドとユグノーの指導者、ナヴァラ王アンリとの婚約を発表します。これによって停戦が成立。ユグノー戦争は一時停戦となります。」
生「やっぱりユグノー寄りじゃない、母后?」
学「さて・・・ついに表題通りの時間が近づいてきましたね。」
生「?」
学「話を少し戻しましょう。1565年、母后カトリーヌ・ド・メディシスはとある人物と会見を行いました。」
生「ある人物?」
学「イスパニア王フェリペ2世とナポリ副王アルバ公です。」
生「え・・・?」
学「イスパニア王フェリペ2世の后エリザベートはカトリーヌの娘ですから。この会談でカトリーヌは、スペイン王家との更なる縁談を進め、関係を強化しようとしています。まぁ、フェリペ2世とアルバ公はユグノー弾圧の成果を上げるように要請しただけですけどね。」
生「カトリーヌは庇護者にイスパニアを選んだの?」
学「おそらく。ですが、ここで母后カトリーヌの見過ごせぬ事件が起きます。」
生「ん?」
学「ユグノー指導者の1人にして、ユグノーとカトリックの講和後にシャルル9世の宮廷に入ったコリニー提督が、ネーデルランドの新教徒支援の為、イスパニアとの開戦をシャルル9世に進言するのです。」
生「それで?」
学「シャルル9世を何とか説得したカトリーヌは、コリニーの排斥を決意し、ギーズ公アンリ(暗殺された先代ギーズ公アンリの息子)にコリニーの暗殺を依頼します。」
生「自分がユグノーを宮廷に招いたのに、なんていう無責任・・・」
学「1572年8月19日に行われたナヴァル王アンリと王妃マルグリッドとの結婚式の3日後の8月22日、ギーズ公アンリはコリニーの暗殺を決行。ところが、これは失敗に終わります。」
生「あらら。カトリック派もこれまでね。」
学「ところが」
生「え?」
学「ギーズ公アンリと母后カトリーヌはユグノーの反撃を恐れ、最後の手段に打って出ます。」
生「はい?」
学「1572年8月24日、聖バルテルミの祝祭日未明。教会の鐘を合図にギーズ公アンリの兵が全フランスにてユグノー派の大虐殺を決行するのです。」
生「なんですって!?」
学「あらかじめ印をつけていたユグノー派貴族の屋敷、教会、集会場などあらゆる所で、国王の名のもとに大虐殺が行われます。」
生「シャルル9世が命じたの!?」
学「直接指令したのはカトリーヌ・ド・メディシスと言われています。彼女はギーズ公の兵士たちに以下の言葉を言い放ちました」
「今日なされる残酷は慈悲であり、慈悲は残酷なり」
生「なんていう傲岸不遜な・・・」
学「虐殺は3日間に及びます。この聖バルテルミの虐殺で死亡したユグノーはパリだけでも数千、フランス全土で数万と言われています。」
生「そんな事をしたら、国際社会から反感を・・・」
学「買いません」
生「はぁ!?」
生「時の教皇グレゴリウス13世はこの報告を聞いて、自ら賛美歌を歌いながら大祝賀会を催した上に、記念メダルを造らせています。」
生「な・・・」
学「最も、教皇は虐殺の正確な情報を知らなかったという説もありますが・・・」
生「なぁんだ」
学「しかし、問答無用に喜んだ人物も居ます。イスパニア王フェリペ2世はフランス大使を宮廷に呼ぶと、虐殺の話を聞いて大層大笑いしたそうです。」
生「趣味悪・・・」
学「結局喪に服したのはイングランド女王エリザベス1世ぐらいですね。これ以後フランスは更に混乱の波に飲み込まれていきますが・・・それはまた次回に。」
生「聞くからにドロドロしてそうね。」
学「前回の終了はフランソワ1世がイタリアにおける権益を全て失った所ですね。」
生「結局フランソワ1世は皇帝カール5世に勝てなかったのよね。」
学「そんなフランソワ1世ですが、内政に関しては名君と呼んで差し支えない業績を上げています。この頃フランスはルネッサンス(文化復興)を迎え、中央集権化が進みヨーロッパ屈指の強国として栄えます。」
生「フランス貴族達がこぞって美術品の収集に乗り出すのもこの頃ね。」
学「しかし、フランソワ1世の死後、フランスに暗雲が立ち込めます。」
生「え?」
学「フランソワ1世の跡を継いだのがアンリ2世ですが、この人の妃が『フランス史上最大の悪女』ことカトリーヌ・ド・メディシスです。」
生「マリー・アントワネットじゃなかったんだ。」
学「スケールが違います。さて、彼女の夫、アンリ2世の頃、フランス国内に宗教改革の波が押し寄せます。」
生「1517年、ルターが教会につきつけた『95カ条の論題』から発展するプロテスタントの興隆運動ね。」
学「そうです。フランスにはプロテスタントの一派、カルヴァン派の教えが広がります(フランスにおけるカルヴァン派の呼称はユグノー)。アンリ2世はこれを徹底的に弾圧しました。」
生「あらら、キリスト教徒をそんなに弾圧すると・・・」
学「ユグノーもキリスト教の御多分に漏れず、弾圧に屈せず数を増やし続けます。その数はフランス全国民の3%〜5%だと言われています。」
学「さて、1559年、アンリ2世が死去してフランソワ2世が即位します。これにより、フランスの宮廷闘争の幕が開きます。」
生「ついに表題の宮廷闘争の始まりね。」
学「当事宮廷内にあった派閥は4つ、母后カトリーヌ・ド・メディシス、ギーズ公アンリ、モンモラシー大元帥、ユグノーです。
生「ギーズ公とモンモラシー大元帥の二人はフランス王宮のNPCね。」
学「このうち、当事の王妃の母がギーズ公爵家の出身だった事から、ギーズ公アンリが宮廷の実権を握ります。また、ギーズ公はカトリックだった為、ユグノーに対する迫害は益々厳しくなる一方でした。」
生「そういえばギーズ公、フランスイベントでもカトリックの大物っていう説明だったわね。」
学「これを見たカトリーヌ・ド・メディシスはカトリックであるにも関わらず、ユグノーと連携。なんとギーズ公アンリの誘拐を計画します。」
生「クーデター!?」
学「これを察知したギーズ公は国王をブロワ城からアンボワーズ城へ移動し、警備を厳重にします。そうとは知らぬユグノー一派は1560年ブロワ城を急襲し失敗、揃ってギーズ公に処刑されます。首に縄をかけ窓から突き落としたり、袋詰めにしてロワール川へ投げ落としたりなど、残酷を極めたそうです。(アンボワーズの陰謀)」
生「母后カトリーヌは?」
学「ユグノーとの関わり一切を否定し、切り抜けます。」
生「うわ、ひど・・・」
学「イタリア都市国家の名家でもしぶとさでは随一のメディチ家出身の彼女にしてみれば、当然の処世術でしょうね。」
学「さて、そうまでした権力闘争ですが、意外な形で決着が着きます。アンボワーズの陰謀と同年、フランソワ2世が急逝。弟のシャルルが即位してシャルル9世となると、母后カトリーヌ・ド・メディシスが摂政に就任し実権を握ります。」
生「なんだ、結局カトリーヌが宮廷闘争で勝つのね」
学「まさか、これで終わるわけがありません。」
学「摂政となったカトリーヌ・ド・メディシスはユグノーに対しての迫害を緩和し、融和策を採ります。また、ユグノーの首領、ナヴァラ家のジャンヌ・ダルブレやブルボン家のアンリとも接触を繰り返します。」
生「やっぱりユグノー寄りなのね、カトリーヌって。」
学「さて、そうでしょうか。これに対し、ギーズ公アンリはモンモラシー元帥と結託、1562年ヴィシー市にて数十人のユグノー虐殺を決行します。ユグノー戦争の始まりです。」
生「流石は宮廷闘争、ドロドロしてるわね・・・」
学「ギーズ公とモンモラシー元帥は異教徒撲滅を、ユグノーは暴君打倒を叫び計8回にも及ぶユグノー戦争の開始です。ちなみに母后カトリーヌは両派の間を行ったりきたりしながら保護者を求めていました。時にユグノー支援を、時にユグノー弾圧をと終始一貫しない態度を繰り返すのです。」
生「まさしくイタリア都市国家出身、っていう感じね。」
学「ところが内乱の最中、ギーズ公アンリもモンモラシー元帥も暗殺されてしまいます。1570年、母后カトリーヌは王女マルグリッドとユグノーの指導者、ナヴァラ王アンリとの婚約を発表します。これによって停戦が成立。ユグノー戦争は一時停戦となります。」
生「やっぱりユグノー寄りじゃない、母后?」
学「さて・・・ついに表題通りの時間が近づいてきましたね。」
生「?」
学「話を少し戻しましょう。1565年、母后カトリーヌ・ド・メディシスはとある人物と会見を行いました。」
生「ある人物?」
学「イスパニア王フェリペ2世とナポリ副王アルバ公です。」
生「え・・・?」
学「イスパニア王フェリペ2世の后エリザベートはカトリーヌの娘ですから。この会談でカトリーヌは、スペイン王家との更なる縁談を進め、関係を強化しようとしています。まぁ、フェリペ2世とアルバ公はユグノー弾圧の成果を上げるように要請しただけですけどね。」
生「カトリーヌは庇護者にイスパニアを選んだの?」
学「おそらく。ですが、ここで母后カトリーヌの見過ごせぬ事件が起きます。」
生「ん?」
学「ユグノー指導者の1人にして、ユグノーとカトリックの講和後にシャルル9世の宮廷に入ったコリニー提督が、ネーデルランドの新教徒支援の為、イスパニアとの開戦をシャルル9世に進言するのです。」
生「それで?」
学「シャルル9世を何とか説得したカトリーヌは、コリニーの排斥を決意し、ギーズ公アンリ(暗殺された先代ギーズ公アンリの息子)にコリニーの暗殺を依頼します。」
生「自分がユグノーを宮廷に招いたのに、なんていう無責任・・・」
学「1572年8月19日に行われたナヴァル王アンリと王妃マルグリッドとの結婚式の3日後の8月22日、ギーズ公アンリはコリニーの暗殺を決行。ところが、これは失敗に終わります。」
生「あらら。カトリック派もこれまでね。」
学「ところが」
生「え?」
学「ギーズ公アンリと母后カトリーヌはユグノーの反撃を恐れ、最後の手段に打って出ます。」
生「はい?」
学「1572年8月24日、聖バルテルミの祝祭日未明。教会の鐘を合図にギーズ公アンリの兵が全フランスにてユグノー派の大虐殺を決行するのです。」
生「なんですって!?」
学「あらかじめ印をつけていたユグノー派貴族の屋敷、教会、集会場などあらゆる所で、国王の名のもとに大虐殺が行われます。」
生「シャルル9世が命じたの!?」
学「直接指令したのはカトリーヌ・ド・メディシスと言われています。彼女はギーズ公の兵士たちに以下の言葉を言い放ちました」
「今日なされる残酷は慈悲であり、慈悲は残酷なり」
生「なんていう傲岸不遜な・・・」
学「虐殺は3日間に及びます。この聖バルテルミの虐殺で死亡したユグノーはパリだけでも数千、フランス全土で数万と言われています。」
生「そんな事をしたら、国際社会から反感を・・・」
学「買いません」
生「はぁ!?」
生「時の教皇グレゴリウス13世はこの報告を聞いて、自ら賛美歌を歌いながら大祝賀会を催した上に、記念メダルを造らせています。」
生「な・・・」
学「最も、教皇は虐殺の正確な情報を知らなかったという説もありますが・・・」
生「なぁんだ」
学「しかし、問答無用に喜んだ人物も居ます。イスパニア王フェリペ2世はフランス大使を宮廷に呼ぶと、虐殺の話を聞いて大層大笑いしたそうです。」
生「趣味悪・・・」
学「結局喪に服したのはイングランド女王エリザベス1世ぐらいですね。これ以後フランスは更に混乱の波に飲み込まれていきますが・・・それはまた次回に。」
特集・ハンニバル戦争検証その2
2005年12月4日 コラムその3:カルタゴが挙国一致体制を取ったら?
生徒「カルタゴが全力を挙げてハンニバルを支援していたらどうか、という話ね。流石にこれならローマも滅びるでしょう。」
学者「そうですね、可能性はかなり高くなるでしょう。」
生徒「どれくらい?」
学者「筆者の予測では50%」
生徒「はぁ!?ローマを贔屓しすぎじゃないの?」
学者「きちんとした理由があるんですよ。まずカルタゴは当事地中海世界最大の国家です。農業、商業共に超一流。自前の金貨を作り、交易も盛んでした。一方、ローマは未だに銀貨しか持たぬ発展途上国家。国力の差は歴然としています。」
生徒「しかもイタリアには名将ハンニバルと彼の精鋭がローマを滅亡の淵まで追い詰めている。圧倒的じゃない。」
学者「しかし、カルタゴには他にローマに対抗できる将軍が居ないのですよ。どいつもこいつも、ローマの将帥に比べて2流以下。第1次ポエニ戦役ではハンニバルの父、ハミルカル以外はローマに勝ったためしがありません。」
生徒「勝敗を決するのは兵士の数でしょう?」
学者「ところがそうでもない。当時の戦争は陣形の崩しあいです。たとえ寡兵であろうと、相手の陣形を崩してしまえばそれで勝利なのです。ローマのレギオン(重装歩兵)は、その点において地中海世界最強の軍団です。この常識を破り、戦闘時陣形を柔軟に変化させて敵を包囲殲滅するという偉業をやってのけたのがハンニバルです。彼はローマのレギオンの強さとその弱点を知り抜いたからこそ戦史上最高の包囲殲滅戦であるカンネーの戦いを演出できたのでしょう。」
生徒「ローマのレギオンは何でそんなに強かったの?」
学者「それこそがローマ人最強の武器『不屈の精神』です。他の民族に比べ体格も小さく、器用さもそこまででもなかったローマ人は、その精神の強さは世界史上類を見ない程のものでした。実際カンネー会戦後のローマの復活ぶりは、『ローマ人の精神』としか形容しようがありません。」
生徒「精神論?」
学者「当事はまだ精神論が通用する世界だったという事ですね。先程も言いましたが、カンネー戦はどんな大国だろうが致命傷になるであろうダメージをローマに与えました。」
生徒「それでもローマはハンニバルに抵抗するのを諦めず、徹底抗戦に徹した。」
学者「それに、ハンニバルにはもう一つ泣き所がありました。」
生徒「泣き所?」
学者「攻城戦が苦手なのです。平原における騎兵の機動力を活かした会戦は得意でしたが、攻城戦に必要な攻城兵器をハンニバルは持っていなかったのです。実際小都市ザグントゥムを攻略するのに8ヶ月、スポレチウムの攻城に失敗しています。元々カルタゴやガリアの傭兵は、攻城戦が苦手ですしね。」
生徒「と、いう事は・・・」
学者「全長8キロの城壁、14の城門を持つ地中海きっての要塞都市ローマ、そして中には諦める事を知らないローマ人。ローマを攻め落とすまでカルタゴの国力が続くか、ローマ人の不屈の精神が勝つか。故に50%の勝率なのです。」
総論:ローマは1日にしてならず、故にローマ人は歩みを止めず
生徒「ハンニバルはやはりローマに勝てなかったのかな?」
学者「紀元前750年の昔から、1453年まで2000年以上地上に君臨し続け、歴史の大部分を支配した国家。何度倒しても不死鳥の如くよみがえり、腐敗すれば自浄し領土を拡張し続け国家の形態が不適切になればそれをも自己改革してしまう。他民族を自らと同化させ、ローマ人である事を誇りにすら思わせる。自らの身体を東西に分けながらしぶとく生き続け、2枚どころか7枚の舌で外交を展開し、ついにはキリスト教すらその身に取り込んでしまう。この世に唯一「怪物」とすら形容される大国家、それがローマです。」
生徒「・・・凄い言い様ね。」
学者「ハンニバルは間違いなく古代最高の将でしょう。しかし、相手が悪すぎた。ハンニバル唯一の不運は、ローマを相手にした事だったのではないでしょうか。」
生徒「結論は?」
学者「『偉大なハンニバルをもってしても、偉大なローマは倒せなかった』」
生徒「カルタゴが全力を挙げてハンニバルを支援していたらどうか、という話ね。流石にこれならローマも滅びるでしょう。」
学者「そうですね、可能性はかなり高くなるでしょう。」
生徒「どれくらい?」
学者「筆者の予測では50%」
生徒「はぁ!?ローマを贔屓しすぎじゃないの?」
学者「きちんとした理由があるんですよ。まずカルタゴは当事地中海世界最大の国家です。農業、商業共に超一流。自前の金貨を作り、交易も盛んでした。一方、ローマは未だに銀貨しか持たぬ発展途上国家。国力の差は歴然としています。」
生徒「しかもイタリアには名将ハンニバルと彼の精鋭がローマを滅亡の淵まで追い詰めている。圧倒的じゃない。」
学者「しかし、カルタゴには他にローマに対抗できる将軍が居ないのですよ。どいつもこいつも、ローマの将帥に比べて2流以下。第1次ポエニ戦役ではハンニバルの父、ハミルカル以外はローマに勝ったためしがありません。」
生徒「勝敗を決するのは兵士の数でしょう?」
学者「ところがそうでもない。当時の戦争は陣形の崩しあいです。たとえ寡兵であろうと、相手の陣形を崩してしまえばそれで勝利なのです。ローマのレギオン(重装歩兵)は、その点において地中海世界最強の軍団です。この常識を破り、戦闘時陣形を柔軟に変化させて敵を包囲殲滅するという偉業をやってのけたのがハンニバルです。彼はローマのレギオンの強さとその弱点を知り抜いたからこそ戦史上最高の包囲殲滅戦であるカンネーの戦いを演出できたのでしょう。」
生徒「ローマのレギオンは何でそんなに強かったの?」
学者「それこそがローマ人最強の武器『不屈の精神』です。他の民族に比べ体格も小さく、器用さもそこまででもなかったローマ人は、その精神の強さは世界史上類を見ない程のものでした。実際カンネー会戦後のローマの復活ぶりは、『ローマ人の精神』としか形容しようがありません。」
生徒「精神論?」
学者「当事はまだ精神論が通用する世界だったという事ですね。先程も言いましたが、カンネー戦はどんな大国だろうが致命傷になるであろうダメージをローマに与えました。」
生徒「それでもローマはハンニバルに抵抗するのを諦めず、徹底抗戦に徹した。」
学者「それに、ハンニバルにはもう一つ泣き所がありました。」
生徒「泣き所?」
学者「攻城戦が苦手なのです。平原における騎兵の機動力を活かした会戦は得意でしたが、攻城戦に必要な攻城兵器をハンニバルは持っていなかったのです。実際小都市ザグントゥムを攻略するのに8ヶ月、スポレチウムの攻城に失敗しています。元々カルタゴやガリアの傭兵は、攻城戦が苦手ですしね。」
生徒「と、いう事は・・・」
学者「全長8キロの城壁、14の城門を持つ地中海きっての要塞都市ローマ、そして中には諦める事を知らないローマ人。ローマを攻め落とすまでカルタゴの国力が続くか、ローマ人の不屈の精神が勝つか。故に50%の勝率なのです。」
総論:ローマは1日にしてならず、故にローマ人は歩みを止めず
生徒「ハンニバルはやはりローマに勝てなかったのかな?」
学者「紀元前750年の昔から、1453年まで2000年以上地上に君臨し続け、歴史の大部分を支配した国家。何度倒しても不死鳥の如くよみがえり、腐敗すれば自浄し領土を拡張し続け国家の形態が不適切になればそれをも自己改革してしまう。他民族を自らと同化させ、ローマ人である事を誇りにすら思わせる。自らの身体を東西に分けながらしぶとく生き続け、2枚どころか7枚の舌で外交を展開し、ついにはキリスト教すらその身に取り込んでしまう。この世に唯一「怪物」とすら形容される大国家、それがローマです。」
生徒「・・・凄い言い様ね。」
学者「ハンニバルは間違いなく古代最高の将でしょう。しかし、相手が悪すぎた。ハンニバル唯一の不運は、ローマを相手にした事だったのではないでしょうか。」
生徒「結論は?」
学者「『偉大なハンニバルをもってしても、偉大なローマは倒せなかった』」
特集・ハンニバル戦争検証その1
2005年12月4日 コラム学者「さて、再開第一回目は、第二次ポエニ戦争、通称ハンニバル戦争の特集です」
生徒「紀元前の話なのに、何で?」
学者「『歴史ファンの大航海時代』で特集が組まれているからですよ。ハンニバル戦争についての経緯はそこで読んで下さい。」
生徒「ここでは何をするの?」
学者「めけさんの仮説に対して、此方も検証及び仮説を立ててみようと思いまして。」
生徒「ふーん」
学者「ではいきましょう」
検証その1:カンネー会戦後の講和は可能か?
生徒「歴史上名高いカンネーの会戦ね。ハンニバルは数にして2倍近くのローマ軍を撃破、ローマ軍は8万の軍勢中7万を失いハンニバルはろくな被害も出さなかった。」
学者「めけさんはここでの講和を検証しています。」
生徒「講和の条件は
1、第1次ポエニ戦争の賠償金の返還
2、ザグントゥム攻略を不問とする
3、50年間の関係友好
ね。カンネー戦までにもローマはトラメジーノ湖畔などで大軍を失っているし、ローマには渡りに船なんじゃないの?」
学者「結論を言えば、ローマとの講和は不可能です。」
生徒「え、なんで!?」
学者「ローマ側が態度を硬化させてしまったんです。カンネー戦はまともな国家ならば崩壊してもおかしくない程の被害をローマにもたらしました。ローマは緊急事態宣言にも似た雰囲気となり、カルタゴとの一切の交渉を打ち切ってしまいます。ハンニバルがローマに対し、捕虜の買取を要請した時も、にべも無く断ってしまいます。」
生徒「追い詰め過ぎたのね。」
学者「カンネー戦後、ローマは空前絶後の大徴兵を開始します。国家ローマの総力を上げてハンニバルと対決する事を選んだのです。何せ当事は兵士でなかった奴隷までもを兵士として徴用し、資金の足りない分は元老院議員全員が土地以外の全財産を投げ打って、それでも足りない分は国債まで発行して兵士を集めます。募集する兵士が足りなくなって、徴兵限度年齢の引き上げも行いました。こんな状況下ですら、ハンニバルからの捕虜の買取を拒否しました。決してカルタゴ、そしてハンニバルとの交渉はしないという決意の表れでしょう。」
生徒「うわ・・・」
学者「ローマという国家の恐ろしい所は、このローマ人の精神です。まさに『ハンニバルが滅びるか、ローマが滅びるか』の二者択一です。こんな状況下では、ローマとの講和の可能性は残念ながら無いでしょう。」
その2:アルプスを越えない
生徒「ハンニバルがアルプスを越えずに、イベリアと南スペインで戦い続けたらどうか、という可能性ね。」
学者「残念ながら無理でしょうね。理由は二つあります。」
生徒「一つ目は?」
学者「それではハンニバルの目指す『ローマ連合の解体』という目的が達成できません。イタリア内に侵入し、ローマという国に徹底的に圧力をかけて内部崩壊に導く。これがハンニバルの戦略の大前提です。」
生徒「結局成功しなかったじゃない?」
学者「それでもローマに対するダメージはローマ史上類を見ないものでした。ここでローマを徹底的に叩かなければ、カルタゴとローマの国力差は開く一方。極論を言えばハンニバルが死ぬまでローマが粘れば、自動的にローマの勝利が確定してしまうのです。一か八かの賭けでも、ハンニバルはアルプスを越える必要がありました。」
生徒「もう一つの理由は?」
学者「当事のガリアは、ハンニバルの戦術が十全に活かせる地形ではなかったのです。カエサルのガリア戦記によると、当事のガリア(フランス一帯)は森林と沼沢地と河川が縦横無尽に走っていました。こんな地形では、ハンニバル得意の騎兵の機動力が活かせません。ハンニバルが活躍するには、イタリアや北アフリカなどの開発されていた豊かな土地が必要だったのです。」
続きは次回に
生徒「紀元前の話なのに、何で?」
学者「『歴史ファンの大航海時代』で特集が組まれているからですよ。ハンニバル戦争についての経緯はそこで読んで下さい。」
生徒「ここでは何をするの?」
学者「めけさんの仮説に対して、此方も検証及び仮説を立ててみようと思いまして。」
生徒「ふーん」
学者「ではいきましょう」
検証その1:カンネー会戦後の講和は可能か?
生徒「歴史上名高いカンネーの会戦ね。ハンニバルは数にして2倍近くのローマ軍を撃破、ローマ軍は8万の軍勢中7万を失いハンニバルはろくな被害も出さなかった。」
学者「めけさんはここでの講和を検証しています。」
生徒「講和の条件は
1、第1次ポエニ戦争の賠償金の返還
2、ザグントゥム攻略を不問とする
3、50年間の関係友好
ね。カンネー戦までにもローマはトラメジーノ湖畔などで大軍を失っているし、ローマには渡りに船なんじゃないの?」
学者「結論を言えば、ローマとの講和は不可能です。」
生徒「え、なんで!?」
学者「ローマ側が態度を硬化させてしまったんです。カンネー戦はまともな国家ならば崩壊してもおかしくない程の被害をローマにもたらしました。ローマは緊急事態宣言にも似た雰囲気となり、カルタゴとの一切の交渉を打ち切ってしまいます。ハンニバルがローマに対し、捕虜の買取を要請した時も、にべも無く断ってしまいます。」
生徒「追い詰め過ぎたのね。」
学者「カンネー戦後、ローマは空前絶後の大徴兵を開始します。国家ローマの総力を上げてハンニバルと対決する事を選んだのです。何せ当事は兵士でなかった奴隷までもを兵士として徴用し、資金の足りない分は元老院議員全員が土地以外の全財産を投げ打って、それでも足りない分は国債まで発行して兵士を集めます。募集する兵士が足りなくなって、徴兵限度年齢の引き上げも行いました。こんな状況下ですら、ハンニバルからの捕虜の買取を拒否しました。決してカルタゴ、そしてハンニバルとの交渉はしないという決意の表れでしょう。」
生徒「うわ・・・」
学者「ローマという国家の恐ろしい所は、このローマ人の精神です。まさに『ハンニバルが滅びるか、ローマが滅びるか』の二者択一です。こんな状況下では、ローマとの講和の可能性は残念ながら無いでしょう。」
その2:アルプスを越えない
生徒「ハンニバルがアルプスを越えずに、イベリアと南スペインで戦い続けたらどうか、という可能性ね。」
学者「残念ながら無理でしょうね。理由は二つあります。」
生徒「一つ目は?」
学者「それではハンニバルの目指す『ローマ連合の解体』という目的が達成できません。イタリア内に侵入し、ローマという国に徹底的に圧力をかけて内部崩壊に導く。これがハンニバルの戦略の大前提です。」
生徒「結局成功しなかったじゃない?」
学者「それでもローマに対するダメージはローマ史上類を見ないものでした。ここでローマを徹底的に叩かなければ、カルタゴとローマの国力差は開く一方。極論を言えばハンニバルが死ぬまでローマが粘れば、自動的にローマの勝利が確定してしまうのです。一か八かの賭けでも、ハンニバルはアルプスを越える必要がありました。」
生徒「もう一つの理由は?」
学者「当事のガリアは、ハンニバルの戦術が十全に活かせる地形ではなかったのです。カエサルのガリア戦記によると、当事のガリア(フランス一帯)は森林と沼沢地と河川が縦横無尽に走っていました。こんな地形では、ハンニバル得意の騎兵の機動力が活かせません。ハンニバルが活躍するには、イタリアや北アフリカなどの開発されていた豊かな土地が必要だったのです。」
続きは次回に
歴史ファンの大航海時代
http://dolmeke.blog11.fc2.com/
こんなページ見ているよりも、ここで勉強したほうが断然良い!
というページです。歴史紹介の量はまさに圧巻
Vamos a bailar!
http://blog.livedoor.jp/hakushika/
宿敵にして飲み仲間、汁月の日記です
ふんてろりん
http://lollin.com/dol/
大航海仲間、おまんちゃんの日記&イラストサイト
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学「さて、第2回はフランスです。」
生「フランスって、大航海時代では目立たない国だよね。」
学「フランスは当時混乱期にありました。海に出るどころか自国内すら収拾がつかない状態だったのです。」
生「今回の題名もかなり切羽詰ってるわね」
学「では当時の状況を説明しましょう」
学「第1回第1章で説明した通り、フランスが切羽詰っていました。」
生「イスパニアの王様が皇帝になったせいで、フランスは三方を囲まれちゃったんだよね?」
学「そうです。フランス軍は1515年、北イタリアのミラノ公国を版図に加えたうえで、いよいよ北イタリアの併合に乗り出しました。」
生「でも、そんな事したら皇帝も黙ってないよね?」
学「勿論です。まず皇帝は、当時盛んだった宗教改革の首謀者、ルターから、勅命によって市民権を奪いました。これでローマ教皇の歓心を買い、ローマ教皇庁と同盟を結ぶ事に成功します。」
生「あらら、フランス王の目論見がもう崩れちゃった。」
学「ですが、教皇庁に固有兵力はありません。戦争で皇帝軍を倒し、ローマに進軍すれば教皇も翻意すると考えたのでしょう。1520年〜1525年まで、フランス王はミラノを拠点にたびたび進軍を繰り返しますが、その度に皇帝軍に打ち破られます。」
生「フランス軍って弱いんだ。」
学「いえ、実力から言えば当事ヨーロッパ最強の軍隊でした。」
生「じゃあ、何でそんなに負けたの?」
学「当事の主力は騎兵でした。イスパニアは騎兵に適しない地形だった為に、軍隊の主力を火器に変えていました。この火器兵と歩兵の合成陣形、『テルシオ』こそがイスパニア軍の強さの秘密でした。」
生「『テルシオ』?」
学「アイテムにテルシオ陣形図、というのがありますが、あれはこのテルシオが元です。槍兵の周りをマスケット銃を装備した火器兵が囲み、装填時間中は槍兵が火器兵を守るという陣形です。」
生「それがそんなに強いの?」
学「1525年の『パヴィア城攻防戦』で証明されていますね。起死回生を狙ったフランス王フランソワ1世は、ミラノを進発して北アフリカの要衝パヴィア城を包囲します。しかし、救援に来た皇帝カール5世の軍と対決し、散々に打ち負かされ、フランソワ1世自身も捕虜になってしまいます。翌年、ミラノ・ジェノヴァ・ナポリの放棄、ブルゴーニュ地方の割譲を約束し、王子二人をイスパニアの人質とするマドリッド条約に調印しようやく解放されます。」
生「フランスの北イタリアへの野望もここまでね。」
学「ところがそうはいきません。その生涯を打倒カール5世に費やしたフランソワ1世の挑戦はまだまだ続きます。」
学「フランソワ一世は帰国直後にマドリッド条約の破棄を宣言します。」
生「うわ、いきなり・・・」
学「まだまだ、イスパニアを倒す為なら手段を選ばないフランソワ1世は次に皇帝の権力の増大を説き、先の戦いで敵になった教皇クレメンスを味方に引き入れます。フランス・ジェノヴァ・ミラノ・フィレンツェ・教皇の五者で結ばれたコニャック神聖同盟がそれです。」
生「昨日の敵は今日の味方。本当、みんな節操無いなぁ」
学「そしてフランソワ1世は、ついに異教徒オスマン帝国とまで同盟します。オスマンのスルタン・スレイマンはハプスブルグ家の牙城、ウィーンを包囲します。」
生「えっ、キリスト教の国なのに!?」
学「更に教皇と結んでいるくせに、ドイツ国内のルター派新教徒を密かに援助し、蜂起させます。」
生「・・・もう無茶苦茶ね。皇帝はさぞや怒ったでしょう」
学「勿論。ですが、皇帝はこの事態に一つ一つ対処しました。まずは裏切り者である教皇に懲罰をくれるべく、教皇がカール5世の同盟者、フェッラーラ公を幽閉した事を理由に軍をローマに進軍させ、ローマ市内を略奪します。」
生「教皇のお膝元を襲うなんて・・・」
学「当事の皇帝軍の主力はドイツの新教徒傭兵でした。彼らは喜んでローマ市内を略奪し、教皇を嘲笑しました。教皇はすっかり怯え、以後決してイスパニアに逆らわないようになります。」
生「可哀そうに・・・」
学「ドイツ内の新教徒に対しては一旦宥和政策を取り宥めます。残るはオスマン帝国ですが、これは天が味方をします。ウィーン守備軍の健闘と悪天候の為、攻城戦を続ける事が困難になったオスマン軍は、キリスト教徒にオスマンの威容を見せ付けた事で遠征の目的は達したとして、ウィーンの包囲を解き、撤退。全ての策が失敗したフランソワ1世はカール5世に賠償金を払う事で和解(カンブレー和約)フランソワ1世はまたもイタリアから手を引く事となります。」
生「フランソワ1世は諦めたの?」
学「いいえ、彼はこの後2回に渡ってイスパニアとイタリアの覇権を争いますが、結局破れついにはイタリアを全面放棄する羽目になります。そしてヨーロッパは宗教改革の波へと飲まれていくわけですが・・・それはまた、次回。」
生「フランスって、大航海時代では目立たない国だよね。」
学「フランスは当時混乱期にありました。海に出るどころか自国内すら収拾がつかない状態だったのです。」
生「今回の題名もかなり切羽詰ってるわね」
学「では当時の状況を説明しましょう」
学「第1回第1章で説明した通り、フランスが切羽詰っていました。」
生「イスパニアの王様が皇帝になったせいで、フランスは三方を囲まれちゃったんだよね?」
学「そうです。フランス軍は1515年、北イタリアのミラノ公国を版図に加えたうえで、いよいよ北イタリアの併合に乗り出しました。」
生「でも、そんな事したら皇帝も黙ってないよね?」
学「勿論です。まず皇帝は、当時盛んだった宗教改革の首謀者、ルターから、勅命によって市民権を奪いました。これでローマ教皇の歓心を買い、ローマ教皇庁と同盟を結ぶ事に成功します。」
生「あらら、フランス王の目論見がもう崩れちゃった。」
学「ですが、教皇庁に固有兵力はありません。戦争で皇帝軍を倒し、ローマに進軍すれば教皇も翻意すると考えたのでしょう。1520年〜1525年まで、フランス王はミラノを拠点にたびたび進軍を繰り返しますが、その度に皇帝軍に打ち破られます。」
生「フランス軍って弱いんだ。」
学「いえ、実力から言えば当事ヨーロッパ最強の軍隊でした。」
生「じゃあ、何でそんなに負けたの?」
学「当事の主力は騎兵でした。イスパニアは騎兵に適しない地形だった為に、軍隊の主力を火器に変えていました。この火器兵と歩兵の合成陣形、『テルシオ』こそがイスパニア軍の強さの秘密でした。」
生「『テルシオ』?」
学「アイテムにテルシオ陣形図、というのがありますが、あれはこのテルシオが元です。槍兵の周りをマスケット銃を装備した火器兵が囲み、装填時間中は槍兵が火器兵を守るという陣形です。」
生「それがそんなに強いの?」
学「1525年の『パヴィア城攻防戦』で証明されていますね。起死回生を狙ったフランス王フランソワ1世は、ミラノを進発して北アフリカの要衝パヴィア城を包囲します。しかし、救援に来た皇帝カール5世の軍と対決し、散々に打ち負かされ、フランソワ1世自身も捕虜になってしまいます。翌年、ミラノ・ジェノヴァ・ナポリの放棄、ブルゴーニュ地方の割譲を約束し、王子二人をイスパニアの人質とするマドリッド条約に調印しようやく解放されます。」
生「フランスの北イタリアへの野望もここまでね。」
学「ところがそうはいきません。その生涯を打倒カール5世に費やしたフランソワ1世の挑戦はまだまだ続きます。」
学「フランソワ一世は帰国直後にマドリッド条約の破棄を宣言します。」
生「うわ、いきなり・・・」
学「まだまだ、イスパニアを倒す為なら手段を選ばないフランソワ1世は次に皇帝の権力の増大を説き、先の戦いで敵になった教皇クレメンスを味方に引き入れます。フランス・ジェノヴァ・ミラノ・フィレンツェ・教皇の五者で結ばれたコニャック神聖同盟がそれです。」
生「昨日の敵は今日の味方。本当、みんな節操無いなぁ」
学「そしてフランソワ1世は、ついに異教徒オスマン帝国とまで同盟します。オスマンのスルタン・スレイマンはハプスブルグ家の牙城、ウィーンを包囲します。」
生「えっ、キリスト教の国なのに!?」
学「更に教皇と結んでいるくせに、ドイツ国内のルター派新教徒を密かに援助し、蜂起させます。」
生「・・・もう無茶苦茶ね。皇帝はさぞや怒ったでしょう」
学「勿論。ですが、皇帝はこの事態に一つ一つ対処しました。まずは裏切り者である教皇に懲罰をくれるべく、教皇がカール5世の同盟者、フェッラーラ公を幽閉した事を理由に軍をローマに進軍させ、ローマ市内を略奪します。」
生「教皇のお膝元を襲うなんて・・・」
学「当事の皇帝軍の主力はドイツの新教徒傭兵でした。彼らは喜んでローマ市内を略奪し、教皇を嘲笑しました。教皇はすっかり怯え、以後決してイスパニアに逆らわないようになります。」
生「可哀そうに・・・」
学「ドイツ内の新教徒に対しては一旦宥和政策を取り宥めます。残るはオスマン帝国ですが、これは天が味方をします。ウィーン守備軍の健闘と悪天候の為、攻城戦を続ける事が困難になったオスマン軍は、キリスト教徒にオスマンの威容を見せ付けた事で遠征の目的は達したとして、ウィーンの包囲を解き、撤退。全ての策が失敗したフランソワ1世はカール5世に賠償金を払う事で和解(カンブレー和約)フランソワ1世はまたもイタリアから手を引く事となります。」
生「フランソワ1世は諦めたの?」
学「いいえ、彼はこの後2回に渡ってイスパニアとイタリアの覇権を争いますが、結局破れついにはイタリアを全面放棄する羽目になります。そしてヨーロッパは宗教改革の波へと飲まれていくわけですが・・・それはまた、次回。」
学「さて、当時のイタリア半島の混乱と衰退は分かったかな?」
生「は〜い」
学「当時、大国の思惑渦巻くイタリア半島の中で、唯一その利害関係から、完璧とは言えないまでも遠ざかっていたのがヴェネツィア共和国でした。」
生「北イタリアの併合を目指していたフランス王は、ヴェネツィアを攻略しなかったの?」
学「ヴェネツィアは当時、教皇ユリウス2世のせいでイタリア半島における領土、影響力の大部分を削られていました。またヴェネツィアの国力のほとんどは交易と海軍力にあった為、陸の国家であるフランスにとっては魅力的なものに写らなかったのでしょう。」
生「既に凋落が始まっていたのね」
学「ヴェネツィアは元々地中海が基盤の国家です。コンスタンティノポリス(ゲーム中のイスタンブール)やアレクサンドリアから得る東方貿易の利益こそがヴェネツィアの国力を支えていました。」
生「どうしてそれが凋落してしまったの?」
学「長らく続くオスマン帝国との対決で国力を疲弊した事、そして経済的にもちつもたれつであったオスマン帝国が急速に衰亡していった事が原因でしょうね。」
生「戦いつつももちつもたれつ?」
学「そこが複雑な所ですね。オスマン帝国はスルタン・マホメッド2世がコンスタンティノポリスを占領し、そこを首都にして以来、地中海交易の最重要拠点を得ました。しかし元来陸の国家であるオスマンには海運のノウハウがありません。そこでオスマンはヴェネツィアやジェノヴァの商人たちに交易を任せ利権を委ねる代わりに、税をとってそれを国庫に収めていました。」
生「それが何で戦争を?」
学「オスマン帝国は宗教国家です。国家の主であるスルタンの目的は『全世界にアラーの教えを広め、邪教徒を殲滅する事』でした。オスマン帝国の大帝スレイマンは、バルカン半島を制圧した後オーストリアのウィーンまで遠征を行っています。後にこれを模倣した歴代スルタンはキリスト教圏への遠征を繰り返し、ヴェネツィアとの対立、講和を繰り返していくのです」
生「宗教戦争だったんだ。」
学「結果としてこれはヴェネツィア、オスマン両国の国力を弱める事となりました。また、時代は地中海から太平洋へと舞台を移します。ヴェネツィア自体は大航海時代の激動を乗り切りますが、かつて地中海の主として歴史に君臨した威光はついに取り戻せませんでした。」
生「成る程〜」
学「さて、次回からはフランスです。」
生「あれ、ヴェネツィア編はもう終わり?」
学「元々この時代のヴェネツィアは既に小国、イタリア半島の混乱を説明できればそれで良いんです。ヴェネツィアに関しての詳しい事情を知りたい方は、塩野七生先生の著書『海の都の物語〜ヴェネツィア共和国の一千年〜上・下』を読む事をお勧めします。」
生「投げやり〜」
学「うるさいですよ。ではまた次回、お会いしましょう」
生「は〜い」
学「当時、大国の思惑渦巻くイタリア半島の中で、唯一その利害関係から、完璧とは言えないまでも遠ざかっていたのがヴェネツィア共和国でした。」
生「北イタリアの併合を目指していたフランス王は、ヴェネツィアを攻略しなかったの?」
学「ヴェネツィアは当時、教皇ユリウス2世のせいでイタリア半島における領土、影響力の大部分を削られていました。またヴェネツィアの国力のほとんどは交易と海軍力にあった為、陸の国家であるフランスにとっては魅力的なものに写らなかったのでしょう。」
生「既に凋落が始まっていたのね」
学「ヴェネツィアは元々地中海が基盤の国家です。コンスタンティノポリス(ゲーム中のイスタンブール)やアレクサンドリアから得る東方貿易の利益こそがヴェネツィアの国力を支えていました。」
生「どうしてそれが凋落してしまったの?」
学「長らく続くオスマン帝国との対決で国力を疲弊した事、そして経済的にもちつもたれつであったオスマン帝国が急速に衰亡していった事が原因でしょうね。」
生「戦いつつももちつもたれつ?」
学「そこが複雑な所ですね。オスマン帝国はスルタン・マホメッド2世がコンスタンティノポリスを占領し、そこを首都にして以来、地中海交易の最重要拠点を得ました。しかし元来陸の国家であるオスマンには海運のノウハウがありません。そこでオスマンはヴェネツィアやジェノヴァの商人たちに交易を任せ利権を委ねる代わりに、税をとってそれを国庫に収めていました。」
生「それが何で戦争を?」
学「オスマン帝国は宗教国家です。国家の主であるスルタンの目的は『全世界にアラーの教えを広め、邪教徒を殲滅する事』でした。オスマン帝国の大帝スレイマンは、バルカン半島を制圧した後オーストリアのウィーンまで遠征を行っています。後にこれを模倣した歴代スルタンはキリスト教圏への遠征を繰り返し、ヴェネツィアとの対立、講和を繰り返していくのです」
生「宗教戦争だったんだ。」
学「結果としてこれはヴェネツィア、オスマン両国の国力を弱める事となりました。また、時代は地中海から太平洋へと舞台を移します。ヴェネツィア自体は大航海時代の激動を乗り切りますが、かつて地中海の主として歴史に君臨した威光はついに取り戻せませんでした。」
生「成る程〜」
学「さて、次回からはフランスです。」
生「あれ、ヴェネツィア編はもう終わり?」
学「元々この時代のヴェネツィアは既に小国、イタリア半島の混乱を説明できればそれで良いんです。ヴェネツィアに関しての詳しい事情を知りたい方は、塩野七生先生の著書『海の都の物語〜ヴェネツィア共和国の一千年〜上・下』を読む事をお勧めします。」
生「投げやり〜」
学「うるさいですよ。ではまた次回、お会いしましょう」
学「それでは大航海時代の歴史背景解説を始めます」
生「よろしくお願いしマース」
学「さて、第1回はヴェネツィア共和国からはじめますよ」
生「大航海時代の先駆け、ポルトガルからじゃないんですか?」
学「歴史を順に追っていくと、まずはヴェネツィアから話すのが一番良いんです。」
生「そうなんだぁ」
学「とは言っても、この第1回第1章はヴェネツィアではなく、イタリア半島の事情が大半ですけどね。」
学「では話を始めましょう。大航海時代と呼ばれる16世紀後半から17世紀にかけて、ヴェネツィア共和国以外のイタリア都市国家は混乱と荒廃の極みにありました。」
生「いきなり凄い出だしですね・・・」
学「事の起こりは1519年、イスパニア王カール1世がフランス王フランソワ1世を破り、選帝侯選挙で神聖ローマ皇帝に選ばれた事に始まります。」
生「当時は選挙で皇帝を選んでいたのね。」
学「ええ、選帝侯と呼ばれる諸侯と聖職者7人の会議で決められていました。イスパニア王カール1世は大富豪フッガー家から借りた大量の選挙資金をこの選帝侯達にばら撒き、神聖ローマ皇帝になります。」
生「うわ、汚い・・・」
学「今も昔も、選挙は実弾(現金)の多い方が勝ちと決まっているんですよ。それはともかく、イスパニア王カール1世は見事神聖ローマ帝国皇帝カール5世として即位します。」
生「じゃあ、イスパニア王は誰になるの?」
学「当時は何カ国もの王位や爵位を兼ねるのは普通の事でした。カール5世は神聖ローマ帝国皇帝であり、イスパニア王であり、ブルゴーニュ公でもあったんですよ。」
生「ややこし〜い!」
学「さて、フランス王フランソワ1世にとっては最悪の事態となりました。当時のイスパニア王家、つまりハプスブルグ家の領土は」
・イスパニア本国(スペイン)
・神聖ローマ帝国(ドイツ)
・南イタリア (ナポリ・シチリア・サルデニア)
・ネーデルランド(オランダ・ベルギー)
・オーストリア
学「以上に加えて当時開拓中の新大陸もハプスブルグ領ですね。」
生「西ヨーロッパの半分以上じゃないですか!」
学「フランス王は焦りました。ハプスブルグ家はイスパニア、ナポリ、そして皇帝に即位した事で得たドイツの三方からフランスを包囲しました。このままではフランス滅亡は時間の問題だとフランソワ1世は考えます。」
生「フランス王はどうしたの?」
学「元々フランス王は、当時様々な都市国家が入り乱れ、ハプスブルグ家の介入していない北イタリアを併合し、教皇と連合してナポリを奪取、包囲網の一角を崩す事を画策していました。これを期に事を急ぐ事を考えたフランス王は軍を率いて北イタリアに進軍、フランスとイスパニアによる『イタリア戦争』が最も激しくなります」
生「イタリア戦争なのに、戦うのはフランスとイスパニアなのね」
学「この戦争の詳しい経緯や結果などはフランスの回で説明します。重要なのは、この戦争によってイタリアがイスパニアとフランスの戦場になった事、そしてイタリア都市国家郡は協力して大国に対抗する事もなく、両大国に分割されてしまった事です。」
生「そんな中で、唯一独立を保っていたのがヴェネツィアなんんだ。」
学「そうです。次回はヴェネツィア共和国について詳しく説明しましょう。」
生「よろしくお願いしマース」
学「さて、第1回はヴェネツィア共和国からはじめますよ」
生「大航海時代の先駆け、ポルトガルからじゃないんですか?」
学「歴史を順に追っていくと、まずはヴェネツィアから話すのが一番良いんです。」
生「そうなんだぁ」
学「とは言っても、この第1回第1章はヴェネツィアではなく、イタリア半島の事情が大半ですけどね。」
学「では話を始めましょう。大航海時代と呼ばれる16世紀後半から17世紀にかけて、ヴェネツィア共和国以外のイタリア都市国家は混乱と荒廃の極みにありました。」
生「いきなり凄い出だしですね・・・」
学「事の起こりは1519年、イスパニア王カール1世がフランス王フランソワ1世を破り、選帝侯選挙で神聖ローマ皇帝に選ばれた事に始まります。」
生「当時は選挙で皇帝を選んでいたのね。」
学「ええ、選帝侯と呼ばれる諸侯と聖職者7人の会議で決められていました。イスパニア王カール1世は大富豪フッガー家から借りた大量の選挙資金をこの選帝侯達にばら撒き、神聖ローマ皇帝になります。」
生「うわ、汚い・・・」
学「今も昔も、選挙は実弾(現金)の多い方が勝ちと決まっているんですよ。それはともかく、イスパニア王カール1世は見事神聖ローマ帝国皇帝カール5世として即位します。」
生「じゃあ、イスパニア王は誰になるの?」
学「当時は何カ国もの王位や爵位を兼ねるのは普通の事でした。カール5世は神聖ローマ帝国皇帝であり、イスパニア王であり、ブルゴーニュ公でもあったんですよ。」
生「ややこし〜い!」
学「さて、フランス王フランソワ1世にとっては最悪の事態となりました。当時のイスパニア王家、つまりハプスブルグ家の領土は」
・イスパニア本国(スペイン)
・神聖ローマ帝国(ドイツ)
・南イタリア (ナポリ・シチリア・サルデニア)
・ネーデルランド(オランダ・ベルギー)
・オーストリア
学「以上に加えて当時開拓中の新大陸もハプスブルグ領ですね。」
生「西ヨーロッパの半分以上じゃないですか!」
学「フランス王は焦りました。ハプスブルグ家はイスパニア、ナポリ、そして皇帝に即位した事で得たドイツの三方からフランスを包囲しました。このままではフランス滅亡は時間の問題だとフランソワ1世は考えます。」
生「フランス王はどうしたの?」
学「元々フランス王は、当時様々な都市国家が入り乱れ、ハプスブルグ家の介入していない北イタリアを併合し、教皇と連合してナポリを奪取、包囲網の一角を崩す事を画策していました。これを期に事を急ぐ事を考えたフランス王は軍を率いて北イタリアに進軍、フランスとイスパニアによる『イタリア戦争』が最も激しくなります」
生「イタリア戦争なのに、戦うのはフランスとイスパニアなのね」
学「この戦争の詳しい経緯や結果などはフランスの回で説明します。重要なのは、この戦争によってイタリアがイスパニアとフランスの戦場になった事、そしてイタリア都市国家郡は協力して大国に対抗する事もなく、両大国に分割されてしまった事です。」
生「そんな中で、唯一独立を保っていたのがヴェネツィアなんんだ。」
学「そうです。次回はヴェネツィア共和国について詳しく説明しましょう。」
大航海時代歴史背景解説第0回・前説
2005年9月6日 歴史解説講座
という訳で、大航海時代の時代背景を解説していきたいと思います。今回から数回に分けて、国毎に解説していくつもりです。
が、私がただ文章を書いていくだけでは読む方もつまらないでしょうし、私も苦痛です。なので、講師役と生徒役の対話形式で行いたいと思います。
講師役:ナポリの学者(SS左側・以下学)
生徒役:ポルトガル新米航海者(SS右側・以下生)
が、私がただ文章を書いていくだけでは読む方もつまらないでしょうし、私も苦痛です。なので、講師役と生徒役の対話形式で行いたいと思います。
講師役:ナポリの学者(SS左側・以下学)
生徒役:ポルトガル新米航海者(SS右側・以下生)
大航海時代関連お勧め書籍など
2005年9月3日 全体まずは大航海時代Onlineの時代背景を理解するうえで、少しでも参考になるであろう資料を適当にあげていきます。
本
・海の都の物語(上・下)塩野七生
これは非常に有名ですね。ヴェネツィアの興亡を描いた作品です。ヴェネツィアに行かれた方の中にはこの本(というか塩野先生の)ファンの方もいらっしゃるとよく聞きます。ヴェネツィア共和国を詳しく知りたい方は必読ですよ。
・ロードス島戦記 塩野七生
はい、また塩野作品です。これは、大航海時代の少し前の時代に、東地中海でオスマン帝国を相手に戦った騎士団の物語です。アテネのNPC、リラダン騎士団長やラ・ヴァレッテなどの活躍が描かれています。
・レパント海戦 塩野七生
いい加減にしつこいって?でもこれも重要作品ですので外せません。キリスト教連合軍vsオスマン帝国海軍の一大決戦、レパントの戦いを描いた作品です。当時の地中海における海戦、そしてガレアスの登場した経緯や当時のヴェネツィアやヨーロッパ諸国の外交情勢なども分かる一押しの作品です。
・ドイツ傭兵(ランツクネヒト)の文化史 ラインハルト・バウマン著
菊池良生訳
後々説明しますが、当時の戦争の主力は傭兵でした。その傭兵がどのような理念の下に行動していたか、また彼らの生活様式はどのようになっていたかなどが詳しく書かれています。大航海時代当時のイスパニア王フェリペ2世やアルバ公なども文中に登場します
・図説海賊大全 デイヴィッド・コーディングリ =編
増田義郎 =監修
増田義郎・竹内和世 =訳
説明するまでもないですね。サー・フランシス・ドレイクや黒ひげキッドなどの有名海賊を図説している本です。やはり大航海時代と海賊とは切っても切れない縁にあります。
ゲーム
大航海時代シリーズ KOEI&コーエー
オフライン版の大航海時代です。1〜4までありますね。私は2、3、4をやりました。
2は6人の主人公から1人を選んでやる海洋RPGです。大航海時代OnlineにもNPCとして洋上に浮いていますね。どの主人公でも大抵イスパニアが敵に回るのがあれですがw
3は冒険海洋ロマンシュミレーション、でしょうか。書庫で本を読み、スポンサーを見つけ、それを発見し名声を貯める。名声を貯めるとさらに凄い冒険に行けるようになる、というOnline版の冒険クエストみたいなものが主でした。その他にも街を征服できたりと遊び応えもあります。
4は主人公を1人選んで世界を回り、交易で金を稼ぎそれを街に投資して街の影響度を確保して他勢力を倒す、というOnline版の投資戦が主なゲームですね。海戦で勝つと相手の影響度を下げられたり、と戦闘要素もあります。選べる国はポルトガル、スウェーデン、ネーデルランド、明の4カ国です。イスパニアはポルトガル編のラスボス、イングランドはネーデルランド編のラスボス、オスマンはスウェーデン編のラスボスでした。ヴェネツィアはやられ役、フランスにいたっては2,3,4共にほとんど無視ですw
奴隷市場 ru’f
さて、急に怪しい名前が出て参りましたが・・・これ、18禁ゲーム、通称エロゲーです。ですが、これも参考資料に入れました。
このゲーム、舞台は中世ヨーロッパ、コンスタンティノポリスをイメージした架空都市、となっています。つまり舞台は大航海時代―――近辺の中世ヨーロッパをモデルにした架空の時代、です。あくまでも架空。ならば、何故参考資料に入るのか。それは、この作品が「ヴェネツィア式外交術」を見事に描いた一作だからです。人によってかなり好みは分かれるところですが、お勧めですよ。
本
・海の都の物語(上・下)塩野七生
これは非常に有名ですね。ヴェネツィアの興亡を描いた作品です。ヴェネツィアに行かれた方の中にはこの本(というか塩野先生の)ファンの方もいらっしゃるとよく聞きます。ヴェネツィア共和国を詳しく知りたい方は必読ですよ。
・ロードス島戦記 塩野七生
はい、また塩野作品です。これは、大航海時代の少し前の時代に、東地中海でオスマン帝国を相手に戦った騎士団の物語です。アテネのNPC、リラダン騎士団長やラ・ヴァレッテなどの活躍が描かれています。
・レパント海戦 塩野七生
いい加減にしつこいって?でもこれも重要作品ですので外せません。キリスト教連合軍vsオスマン帝国海軍の一大決戦、レパントの戦いを描いた作品です。当時の地中海における海戦、そしてガレアスの登場した経緯や当時のヴェネツィアやヨーロッパ諸国の外交情勢なども分かる一押しの作品です。
・ドイツ傭兵(ランツクネヒト)の文化史 ラインハルト・バウマン著
菊池良生訳
後々説明しますが、当時の戦争の主力は傭兵でした。その傭兵がどのような理念の下に行動していたか、また彼らの生活様式はどのようになっていたかなどが詳しく書かれています。大航海時代当時のイスパニア王フェリペ2世やアルバ公なども文中に登場します
・図説海賊大全 デイヴィッド・コーディングリ =編
増田義郎 =監修
増田義郎・竹内和世 =訳
説明するまでもないですね。サー・フランシス・ドレイクや黒ひげキッドなどの有名海賊を図説している本です。やはり大航海時代と海賊とは切っても切れない縁にあります。
ゲーム
大航海時代シリーズ KOEI&コーエー
オフライン版の大航海時代です。1〜4までありますね。私は2、3、4をやりました。
2は6人の主人公から1人を選んでやる海洋RPGです。大航海時代OnlineにもNPCとして洋上に浮いていますね。どの主人公でも大抵イスパニアが敵に回るのがあれですがw
3は冒険海洋ロマンシュミレーション、でしょうか。書庫で本を読み、スポンサーを見つけ、それを発見し名声を貯める。名声を貯めるとさらに凄い冒険に行けるようになる、というOnline版の冒険クエストみたいなものが主でした。その他にも街を征服できたりと遊び応えもあります。
4は主人公を1人選んで世界を回り、交易で金を稼ぎそれを街に投資して街の影響度を確保して他勢力を倒す、というOnline版の投資戦が主なゲームですね。海戦で勝つと相手の影響度を下げられたり、と戦闘要素もあります。選べる国はポルトガル、スウェーデン、ネーデルランド、明の4カ国です。イスパニアはポルトガル編のラスボス、イングランドはネーデルランド編のラスボス、オスマンはスウェーデン編のラスボスでした。ヴェネツィアはやられ役、フランスにいたっては2,3,4共にほとんど無視ですw
奴隷市場 ru’f
さて、急に怪しい名前が出て参りましたが・・・これ、18禁ゲーム、通称エロゲーです。ですが、これも参考資料に入れました。
このゲーム、舞台は中世ヨーロッパ、コンスタンティノポリスをイメージした架空都市、となっています。つまり舞台は大航海時代―――近辺の中世ヨーロッパをモデルにした架空の時代、です。あくまでも架空。ならば、何故参考資料に入るのか。それは、この作品が「ヴェネツィア式外交術」を見事に描いた一作だからです。人によってかなり好みは分かれるところですが、お勧めですよ。
日記じゃないけどはじめました
2005年9月3日 全体なんかブログ希望の要望が多かったので書きます。自分でも結構書きたかったですし。
でも、日記は書きません。
自慢じゃないですが、私は日記を書いて2週間以上続いた例がありません。
なので、ここでは適当に大航海時代関連の歴史知識や時代のバックボーンの解説を主にしたいと思います。いつまで続くかは分かりませんが一つよろしくお願いします。
※注意
適当に仕入れた知識ですので鵜呑みにしないで下さいね!
でも、日記は書きません。
自慢じゃないですが、私は日記を書いて2週間以上続いた例がありません。
なので、ここでは適当に大航海時代関連の歴史知識や時代のバックボーンの解説を主にしたいと思います。いつまで続くかは分かりませんが一つよろしくお願いします。
※注意
適当に仕入れた知識ですので鵜呑みにしないで下さいね!