その3:カルタゴが挙国一致体制を取ったら?

生徒「カルタゴが全力を挙げてハンニバルを支援していたらどうか、という話ね。流石にこれならローマも滅びるでしょう。」
学者「そうですね、可能性はかなり高くなるでしょう。」
生徒「どれくらい?」
学者「筆者の予測では50%」
生徒「はぁ!?ローマを贔屓しすぎじゃないの?」
学者「きちんとした理由があるんですよ。まずカルタゴは当事地中海世界最大の国家です。農業、商業共に超一流。自前の金貨を作り、交易も盛んでした。一方、ローマは未だに銀貨しか持たぬ発展途上国家。国力の差は歴然としています。」
生徒「しかもイタリアには名将ハンニバルと彼の精鋭がローマを滅亡の淵まで追い詰めている。圧倒的じゃない。」
学者「しかし、カルタゴには他にローマに対抗できる将軍が居ないのですよ。どいつもこいつも、ローマの将帥に比べて2流以下。第1次ポエニ戦役ではハンニバルの父、ハミルカル以外はローマに勝ったためしがありません。」
生徒「勝敗を決するのは兵士の数でしょう?」
学者「ところがそうでもない。当時の戦争は陣形の崩しあいです。たとえ寡兵であろうと、相手の陣形を崩してしまえばそれで勝利なのです。ローマのレギオン(重装歩兵)は、その点において地中海世界最強の軍団です。この常識を破り、戦闘時陣形を柔軟に変化させて敵を包囲殲滅するという偉業をやってのけたのがハンニバルです。彼はローマのレギオンの強さとその弱点を知り抜いたからこそ戦史上最高の包囲殲滅戦であるカンネーの戦いを演出できたのでしょう。」
生徒「ローマのレギオンは何でそんなに強かったの?」
学者「それこそがローマ人最強の武器『不屈の精神』です。他の民族に比べ体格も小さく、器用さもそこまででもなかったローマ人は、その精神の強さは世界史上類を見ない程のものでした。実際カンネー会戦後のローマの復活ぶりは、『ローマ人の精神』としか形容しようがありません。」
生徒「精神論?」
学者「当事はまだ精神論が通用する世界だったという事ですね。先程も言いましたが、カンネー戦はどんな大国だろうが致命傷になるであろうダメージをローマに与えました。」
生徒「それでもローマはハンニバルに抵抗するのを諦めず、徹底抗戦に徹した。」
学者「それに、ハンニバルにはもう一つ泣き所がありました。」
生徒「泣き所?」
学者「攻城戦が苦手なのです。平原における騎兵の機動力を活かした会戦は得意でしたが、攻城戦に必要な攻城兵器をハンニバルは持っていなかったのです。実際小都市ザグントゥムを攻略するのに8ヶ月、スポレチウムの攻城に失敗しています。元々カルタゴやガリアの傭兵は、攻城戦が苦手ですしね。」
生徒「と、いう事は・・・」
学者「全長8キロの城壁、14の城門を持つ地中海きっての要塞都市ローマ、そして中には諦める事を知らないローマ人。ローマを攻め落とすまでカルタゴの国力が続くか、ローマ人の不屈の精神が勝つか。故に50%の勝率なのです。」

総論:ローマは1日にしてならず、故にローマ人は歩みを止めず

生徒「ハンニバルはやはりローマに勝てなかったのかな?」
学者「紀元前750年の昔から、1453年まで2000年以上地上に君臨し続け、歴史の大部分を支配した国家。何度倒しても不死鳥の如くよみがえり、腐敗すれば自浄し領土を拡張し続け国家の形態が不適切になればそれをも自己改革してしまう。他民族を自らと同化させ、ローマ人である事を誇りにすら思わせる。自らの身体を東西に分けながらしぶとく生き続け、2枚どころか7枚の舌で外交を展開し、ついにはキリスト教すらその身に取り込んでしまう。この世に唯一「怪物」とすら形容される大国家、それがローマです。」
生徒「・・・凄い言い様ね。」
学者「ハンニバルは間違いなく古代最高の将でしょう。しかし、相手が悪すぎた。ハンニバル唯一の不運は、ローマを相手にした事だったのではないでしょうか。」
生徒「結論は?」
学者「『偉大なハンニバルをもってしても、偉大なローマは倒せなかった』」
学者「さて、再開第一回目は、第二次ポエニ戦争、通称ハンニバル戦争の特集です」
生徒「紀元前の話なのに、何で?」
学者「『歴史ファンの大航海時代』で特集が組まれているからですよ。ハンニバル戦争についての経緯はそこで読んで下さい。」
生徒「ここでは何をするの?」
学者「めけさんの仮説に対して、此方も検証及び仮説を立ててみようと思いまして。」
生徒「ふーん」
学者「ではいきましょう」

検証その1:カンネー会戦後の講和は可能か?

生徒「歴史上名高いカンネーの会戦ね。ハンニバルは数にして2倍近くのローマ軍を撃破、ローマ軍は8万の軍勢中7万を失いハンニバルはろくな被害も出さなかった。」
学者「めけさんはここでの講和を検証しています。」
生徒「講和の条件は

1、第1次ポエニ戦争の賠償金の返還
2、ザグントゥム攻略を不問とする
3、50年間の関係友好

ね。カンネー戦までにもローマはトラメジーノ湖畔などで大軍を失っているし、ローマには渡りに船なんじゃないの?」
学者「結論を言えば、ローマとの講和は不可能です。」
生徒「え、なんで!?」
学者「ローマ側が態度を硬化させてしまったんです。カンネー戦はまともな国家ならば崩壊してもおかしくない程の被害をローマにもたらしました。ローマは緊急事態宣言にも似た雰囲気となり、カルタゴとの一切の交渉を打ち切ってしまいます。ハンニバルがローマに対し、捕虜の買取を要請した時も、にべも無く断ってしまいます。」
生徒「追い詰め過ぎたのね。」
学者「カンネー戦後、ローマは空前絶後の大徴兵を開始します。国家ローマの総力を上げてハンニバルと対決する事を選んだのです。何せ当事は兵士でなかった奴隷までもを兵士として徴用し、資金の足りない分は元老院議員全員が土地以外の全財産を投げ打って、それでも足りない分は国債まで発行して兵士を集めます。募集する兵士が足りなくなって、徴兵限度年齢の引き上げも行いました。こんな状況下ですら、ハンニバルからの捕虜の買取を拒否しました。決してカルタゴ、そしてハンニバルとの交渉はしないという決意の表れでしょう。」
生徒「うわ・・・」
学者「ローマという国家の恐ろしい所は、このローマ人の精神です。まさに『ハンニバルが滅びるか、ローマが滅びるか』の二者択一です。こんな状況下では、ローマとの講和の可能性は残念ながら無いでしょう。」

その2:アルプスを越えない

生徒「ハンニバルがアルプスを越えずに、イベリアと南スペインで戦い続けたらどうか、という可能性ね。」
学者「残念ながら無理でしょうね。理由は二つあります。」
生徒「一つ目は?」
学者「それではハンニバルの目指す『ローマ連合の解体』という目的が達成できません。イタリア内に侵入し、ローマという国に徹底的に圧力をかけて内部崩壊に導く。これがハンニバルの戦略の大前提です。」
生徒「結局成功しなかったじゃない?」
学者「それでもローマに対するダメージはローマ史上類を見ないものでした。ここでローマを徹底的に叩かなければ、カルタゴとローマの国力差は開く一方。極論を言えばハンニバルが死ぬまでローマが粘れば、自動的にローマの勝利が確定してしまうのです。一か八かの賭けでも、ハンニバルはアルプスを越える必要がありました。」
生徒「もう一つの理由は?」
学者「当事のガリアは、ハンニバルの戦術が十全に活かせる地形ではなかったのです。カエサルのガリア戦記によると、当事のガリア(フランス一帯)は森林と沼沢地と河川が縦横無尽に走っていました。こんな地形では、ハンニバル得意の騎兵の機動力が活かせません。ハンニバルが活躍するには、イタリアや北アフリカなどの開発されていた豊かな土地が必要だったのです。」

続きは次回に