学「さて、今回はフランスの宮廷闘争の話です。」
生「聞くからにドロドロしてそうね。」
学「前回の終了はフランソワ1世がイタリアにおける権益を全て失った所ですね。」
生「結局フランソワ1世は皇帝カール5世に勝てなかったのよね。」
学「そんなフランソワ1世ですが、内政に関しては名君と呼んで差し支えない業績を上げています。この頃フランスはルネッサンス(文化復興)を迎え、中央集権化が進みヨーロッパ屈指の強国として栄えます。」
生「フランス貴族達がこぞって美術品の収集に乗り出すのもこの頃ね。」
学「しかし、フランソワ1世の死後、フランスに暗雲が立ち込めます。」
生「え?」
学「フランソワ1世の跡を継いだのがアンリ2世ですが、この人の妃が『フランス史上最大の悪女』ことカトリーヌ・ド・メディシスです。」
生「マリー・アントワネットじゃなかったんだ。」
学「スケールが違います。さて、彼女の夫、アンリ2世の頃、フランス国内に宗教改革の波が押し寄せます。」
生「1517年、ルターが教会につきつけた『95カ条の論題』から発展するプロテスタントの興隆運動ね。」
学「そうです。フランスにはプロテスタントの一派、カルヴァン派の教えが広がります(フランスにおけるカルヴァン派の呼称はユグノー)。アンリ2世はこれを徹底的に弾圧しました。」
生「あらら、キリスト教徒をそんなに弾圧すると・・・」
学「ユグノーもキリスト教の御多分に漏れず、弾圧に屈せず数を増やし続けます。その数はフランス全国民の3%〜5%だと言われています。」

学「さて、1559年、アンリ2世が死去してフランソワ2世が即位します。これにより、フランスの宮廷闘争の幕が開きます。」
生「ついに表題の宮廷闘争の始まりね。」
学「当事宮廷内にあった派閥は4つ、母后カトリーヌ・ド・メディシス、ギーズ公アンリ、モンモラシー大元帥、ユグノーです。
生「ギーズ公とモンモラシー大元帥の二人はフランス王宮のNPCね。」
学「このうち、当事の王妃の母がギーズ公爵家の出身だった事から、ギーズ公アンリが宮廷の実権を握ります。また、ギーズ公はカトリックだった為、ユグノーに対する迫害は益々厳しくなる一方でした。」
生「そういえばギーズ公、フランスイベントでもカトリックの大物っていう説明だったわね。」
学「これを見たカトリーヌ・ド・メディシスはカトリックであるにも関わらず、ユグノーと連携。なんとギーズ公アンリの誘拐を計画します。」
生「クーデター!?」
学「これを察知したギーズ公は国王をブロワ城からアンボワーズ城へ移動し、警備を厳重にします。そうとは知らぬユグノー一派は1560年ブロワ城を急襲し失敗、揃ってギーズ公に処刑されます。首に縄をかけ窓から突き落としたり、袋詰めにしてロワール川へ投げ落としたりなど、残酷を極めたそうです。(アンボワーズの陰謀)」
生「母后カトリーヌは?」
学「ユグノーとの関わり一切を否定し、切り抜けます。」
生「うわ、ひど・・・」
学「イタリア都市国家の名家でもしぶとさでは随一のメディチ家出身の彼女にしてみれば、当然の処世術でしょうね。」

学「さて、そうまでした権力闘争ですが、意外な形で決着が着きます。アンボワーズの陰謀と同年、フランソワ2世が急逝。弟のシャルルが即位してシャルル9世となると、母后カトリーヌ・ド・メディシスが摂政に就任し実権を握ります。」
生「なんだ、結局カトリーヌが宮廷闘争で勝つのね」
学「まさか、これで終わるわけがありません。」

学「摂政となったカトリーヌ・ド・メディシスはユグノーに対しての迫害を緩和し、融和策を採ります。また、ユグノーの首領、ナヴァラ家のジャンヌ・ダルブレやブルボン家のアンリとも接触を繰り返します。」
生「やっぱりユグノー寄りなのね、カトリーヌって。」
学「さて、そうでしょうか。これに対し、ギーズ公アンリはモンモラシー元帥と結託、1562年ヴィシー市にて数十人のユグノー虐殺を決行します。ユグノー戦争の始まりです。」
生「流石は宮廷闘争、ドロドロしてるわね・・・」
学「ギーズ公とモンモラシー元帥は異教徒撲滅を、ユグノーは暴君打倒を叫び計8回にも及ぶユグノー戦争の開始です。ちなみに母后カトリーヌは両派の間を行ったりきたりしながら保護者を求めていました。時にユグノー支援を、時にユグノー弾圧をと終始一貫しない態度を繰り返すのです。」
生「まさしくイタリア都市国家出身、っていう感じね。」
学「ところが内乱の最中、ギーズ公アンリもモンモラシー元帥も暗殺されてしまいます。1570年、母后カトリーヌは王女マルグリッドとユグノーの指導者、ナヴァラ王アンリとの婚約を発表します。これによって停戦が成立。ユグノー戦争は一時停戦となります。」
生「やっぱりユグノー寄りじゃない、母后?」
学「さて・・・ついに表題通りの時間が近づいてきましたね。」
生「?」

学「話を少し戻しましょう。1565年、母后カトリーヌ・ド・メディシスはとある人物と会見を行いました。」
生「ある人物?」
学「イスパニア王フェリペ2世とナポリ副王アルバ公です。」
生「え・・・?」
学「イスパニア王フェリペ2世の后エリザベートはカトリーヌの娘ですから。この会談でカトリーヌは、スペイン王家との更なる縁談を進め、関係を強化しようとしています。まぁ、フェリペ2世とアルバ公はユグノー弾圧の成果を上げるように要請しただけですけどね。」
生「カトリーヌは庇護者にイスパニアを選んだの?」
学「おそらく。ですが、ここで母后カトリーヌの見過ごせぬ事件が起きます。」
生「ん?」
学「ユグノー指導者の1人にして、ユグノーとカトリックの講和後にシャルル9世の宮廷に入ったコリニー提督が、ネーデルランドの新教徒支援の為、イスパニアとの開戦をシャルル9世に進言するのです。」
生「それで?」
学「シャルル9世を何とか説得したカトリーヌは、コリニーの排斥を決意し、ギーズ公アンリ(暗殺された先代ギーズ公アンリの息子)にコリニーの暗殺を依頼します。」
生「自分がユグノーを宮廷に招いたのに、なんていう無責任・・・」
学「1572年8月19日に行われたナヴァル王アンリと王妃マルグリッドとの結婚式の3日後の8月22日、ギーズ公アンリはコリニーの暗殺を決行。ところが、これは失敗に終わります。」
生「あらら。カトリック派もこれまでね。」
学「ところが」
生「え?」
学「ギーズ公アンリと母后カトリーヌはユグノーの反撃を恐れ、最後の手段に打って出ます。」
生「はい?」
学「1572年8月24日、聖バルテルミの祝祭日未明。教会の鐘を合図にギーズ公アンリの兵が全フランスにてユグノー派の大虐殺を決行するのです。」
生「なんですって!?」
学「あらかじめ印をつけていたユグノー派貴族の屋敷、教会、集会場などあらゆる所で、国王の名のもとに大虐殺が行われます。」
生「シャルル9世が命じたの!?」
学「直接指令したのはカトリーヌ・ド・メディシスと言われています。彼女はギーズ公の兵士たちに以下の言葉を言い放ちました」

「今日なされる残酷は慈悲であり、慈悲は残酷なり」

生「なんていう傲岸不遜な・・・」
学「虐殺は3日間に及びます。この聖バルテルミの虐殺で死亡したユグノーはパリだけでも数千、フランス全土で数万と言われています。」
生「そんな事をしたら、国際社会から反感を・・・」
学「買いません」
生「はぁ!?」
生「時の教皇グレゴリウス13世はこの報告を聞いて、自ら賛美歌を歌いながら大祝賀会を催した上に、記念メダルを造らせています。」
生「な・・・」
学「最も、教皇は虐殺の正確な情報を知らなかったという説もありますが・・・」
生「なぁんだ」
学「しかし、問答無用に喜んだ人物も居ます。イスパニア王フェリペ2世はフランス大使を宮廷に呼ぶと、虐殺の話を聞いて大層大笑いしたそうです。」
生「趣味悪・・・」
学「結局喪に服したのはイングランド女王エリザベス1世ぐらいですね。これ以後フランスは更に混乱の波に飲み込まれていきますが・・・それはまた次回に。」
学「さて、第2回はフランスです。」
生「フランスって、大航海時代では目立たない国だよね。」
学「フランスは当時混乱期にありました。海に出るどころか自国内すら収拾がつかない状態だったのです。」
生「今回の題名もかなり切羽詰ってるわね」
学「では当時の状況を説明しましょう」

学「第1回第1章で説明した通り、フランスが切羽詰っていました。」
生「イスパニアの王様が皇帝になったせいで、フランスは三方を囲まれちゃったんだよね?」
学「そうです。フランス軍は1515年、北イタリアのミラノ公国を版図に加えたうえで、いよいよ北イタリアの併合に乗り出しました。」
生「でも、そんな事したら皇帝も黙ってないよね?」
学「勿論です。まず皇帝は、当時盛んだった宗教改革の首謀者、ルターから、勅命によって市民権を奪いました。これでローマ教皇の歓心を買い、ローマ教皇庁と同盟を結ぶ事に成功します。」
生「あらら、フランス王の目論見がもう崩れちゃった。」
学「ですが、教皇庁に固有兵力はありません。戦争で皇帝軍を倒し、ローマに進軍すれば教皇も翻意すると考えたのでしょう。1520年〜1525年まで、フランス王はミラノを拠点にたびたび進軍を繰り返しますが、その度に皇帝軍に打ち破られます。」
生「フランス軍って弱いんだ。」
学「いえ、実力から言えば当事ヨーロッパ最強の軍隊でした。」
生「じゃあ、何でそんなに負けたの?」
学「当事の主力は騎兵でした。イスパニアは騎兵に適しない地形だった為に、軍隊の主力を火器に変えていました。この火器兵と歩兵の合成陣形、『テルシオ』こそがイスパニア軍の強さの秘密でした。」
生「『テルシオ』?」
学「アイテムにテルシオ陣形図、というのがありますが、あれはこのテルシオが元です。槍兵の周りをマスケット銃を装備した火器兵が囲み、装填時間中は槍兵が火器兵を守るという陣形です。」
生「それがそんなに強いの?」
学「1525年の『パヴィア城攻防戦』で証明されていますね。起死回生を狙ったフランス王フランソワ1世は、ミラノを進発して北アフリカの要衝パヴィア城を包囲します。しかし、救援に来た皇帝カール5世の軍と対決し、散々に打ち負かされ、フランソワ1世自身も捕虜になってしまいます。翌年、ミラノ・ジェノヴァ・ナポリの放棄、ブルゴーニュ地方の割譲を約束し、王子二人をイスパニアの人質とするマドリッド条約に調印しようやく解放されます。」
生「フランスの北イタリアへの野望もここまでね。」
学「ところがそうはいきません。その生涯を打倒カール5世に費やしたフランソワ1世の挑戦はまだまだ続きます。」

学「フランソワ一世は帰国直後にマドリッド条約の破棄を宣言します。」
生「うわ、いきなり・・・」
学「まだまだ、イスパニアを倒す為なら手段を選ばないフランソワ1世は次に皇帝の権力の増大を説き、先の戦いで敵になった教皇クレメンスを味方に引き入れます。フランス・ジェノヴァ・ミラノ・フィレンツェ・教皇の五者で結ばれたコニャック神聖同盟がそれです。」
生「昨日の敵は今日の味方。本当、みんな節操無いなぁ」
学「そしてフランソワ1世は、ついに異教徒オスマン帝国とまで同盟します。オスマンのスルタン・スレイマンはハプスブルグ家の牙城、ウィーンを包囲します。」
生「えっ、キリスト教の国なのに!?」
学「更に教皇と結んでいるくせに、ドイツ国内のルター派新教徒を密かに援助し、蜂起させます。」
生「・・・もう無茶苦茶ね。皇帝はさぞや怒ったでしょう」
学「勿論。ですが、皇帝はこの事態に一つ一つ対処しました。まずは裏切り者である教皇に懲罰をくれるべく、教皇がカール5世の同盟者、フェッラーラ公を幽閉した事を理由に軍をローマに進軍させ、ローマ市内を略奪します。」
生「教皇のお膝元を襲うなんて・・・」
学「当事の皇帝軍の主力はドイツの新教徒傭兵でした。彼らは喜んでローマ市内を略奪し、教皇を嘲笑しました。教皇はすっかり怯え、以後決してイスパニアに逆らわないようになります。」
生「可哀そうに・・・」
学「ドイツ内の新教徒に対しては一旦宥和政策を取り宥めます。残るはオスマン帝国ですが、これは天が味方をします。ウィーン守備軍の健闘と悪天候の為、攻城戦を続ける事が困難になったオスマン軍は、キリスト教徒にオスマンの威容を見せ付けた事で遠征の目的は達したとして、ウィーンの包囲を解き、撤退。全ての策が失敗したフランソワ1世はカール5世に賠償金を払う事で和解(カンブレー和約)フランソワ1世はまたもイタリアから手を引く事となります。」
生「フランソワ1世は諦めたの?」
学「いいえ、彼はこの後2回に渡ってイスパニアとイタリアの覇権を争いますが、結局破れついにはイタリアを全面放棄する羽目になります。そしてヨーロッパは宗教改革の波へと飲まれていくわけですが・・・それはまた、次回。」
学「さて、当時のイタリア半島の混乱と衰退は分かったかな?」
生「は〜い」
学「当時、大国の思惑渦巻くイタリア半島の中で、唯一その利害関係から、完璧とは言えないまでも遠ざかっていたのがヴェネツィア共和国でした。」
生「北イタリアの併合を目指していたフランス王は、ヴェネツィアを攻略しなかったの?」
学「ヴェネツィアは当時、教皇ユリウス2世のせいでイタリア半島における領土、影響力の大部分を削られていました。またヴェネツィアの国力のほとんどは交易と海軍力にあった為、陸の国家であるフランスにとっては魅力的なものに写らなかったのでしょう。」
生「既に凋落が始まっていたのね」
学「ヴェネツィアは元々地中海が基盤の国家です。コンスタンティノポリス(ゲーム中のイスタンブール)やアレクサンドリアから得る東方貿易の利益こそがヴェネツィアの国力を支えていました。」
生「どうしてそれが凋落してしまったの?」
学「長らく続くオスマン帝国との対決で国力を疲弊した事、そして経済的にもちつもたれつであったオスマン帝国が急速に衰亡していった事が原因でしょうね。」
生「戦いつつももちつもたれつ?」
学「そこが複雑な所ですね。オスマン帝国はスルタン・マホメッド2世がコンスタンティノポリスを占領し、そこを首都にして以来、地中海交易の最重要拠点を得ました。しかし元来陸の国家であるオスマンには海運のノウハウがありません。そこでオスマンはヴェネツィアやジェノヴァの商人たちに交易を任せ利権を委ねる代わりに、税をとってそれを国庫に収めていました。」
生「それが何で戦争を?」
学「オスマン帝国は宗教国家です。国家の主であるスルタンの目的は『全世界にアラーの教えを広め、邪教徒を殲滅する事』でした。オスマン帝国の大帝スレイマンは、バルカン半島を制圧した後オーストリアのウィーンまで遠征を行っています。後にこれを模倣した歴代スルタンはキリスト教圏への遠征を繰り返し、ヴェネツィアとの対立、講和を繰り返していくのです」
生「宗教戦争だったんだ。」
学「結果としてこれはヴェネツィア、オスマン両国の国力を弱める事となりました。また、時代は地中海から太平洋へと舞台を移します。ヴェネツィア自体は大航海時代の激動を乗り切りますが、かつて地中海の主として歴史に君臨した威光はついに取り戻せませんでした。」
生「成る程〜」
学「さて、次回からはフランスです。」
生「あれ、ヴェネツィア編はもう終わり?」
学「元々この時代のヴェネツィアは既に小国、イタリア半島の混乱を説明できればそれで良いんです。ヴェネツィアに関しての詳しい事情を知りたい方は、塩野七生先生の著書『海の都の物語〜ヴェネツィア共和国の一千年〜上・下』を読む事をお勧めします。」
生「投げやり〜」
学「うるさいですよ。ではまた次回、お会いしましょう」
学「それでは大航海時代の歴史背景解説を始めます」
生「よろしくお願いしマース」
学「さて、第1回はヴェネツィア共和国からはじめますよ」
生「大航海時代の先駆け、ポルトガルからじゃないんですか?」
学「歴史を順に追っていくと、まずはヴェネツィアから話すのが一番良いんです。」
生「そうなんだぁ」
学「とは言っても、この第1回第1章はヴェネツィアではなく、イタリア半島の事情が大半ですけどね。」

学「では話を始めましょう。大航海時代と呼ばれる16世紀後半から17世紀にかけて、ヴェネツィア共和国以外のイタリア都市国家は混乱と荒廃の極みにありました。」
生「いきなり凄い出だしですね・・・」
学「事の起こりは1519年、イスパニア王カール1世がフランス王フランソワ1世を破り、選帝侯選挙で神聖ローマ皇帝に選ばれた事に始まります。」
生「当時は選挙で皇帝を選んでいたのね。」
学「ええ、選帝侯と呼ばれる諸侯と聖職者7人の会議で決められていました。イスパニア王カール1世は大富豪フッガー家から借りた大量の選挙資金をこの選帝侯達にばら撒き、神聖ローマ皇帝になります。」
生「うわ、汚い・・・」
学「今も昔も、選挙は実弾(現金)の多い方が勝ちと決まっているんですよ。それはともかく、イスパニア王カール1世は見事神聖ローマ帝国皇帝カール5世として即位します。」
生「じゃあ、イスパニア王は誰になるの?」
学「当時は何カ国もの王位や爵位を兼ねるのは普通の事でした。カール5世は神聖ローマ帝国皇帝であり、イスパニア王であり、ブルゴーニュ公でもあったんですよ。」
生「ややこし〜い!」

学「さて、フランス王フランソワ1世にとっては最悪の事態となりました。当時のイスパニア王家、つまりハプスブルグ家の領土は」

・イスパニア本国(スペイン)
・神聖ローマ帝国(ドイツ)
・南イタリア  (ナポリ・シチリア・サルデニア)
・ネーデルランド(オランダ・ベルギー)
・オーストリア

学「以上に加えて当時開拓中の新大陸もハプスブルグ領ですね。」
生「西ヨーロッパの半分以上じゃないですか!」
学「フランス王は焦りました。ハプスブルグ家はイスパニア、ナポリ、そして皇帝に即位した事で得たドイツの三方からフランスを包囲しました。このままではフランス滅亡は時間の問題だとフランソワ1世は考えます。」
生「フランス王はどうしたの?」
学「元々フランス王は、当時様々な都市国家が入り乱れ、ハプスブルグ家の介入していない北イタリアを併合し、教皇と連合してナポリを奪取、包囲網の一角を崩す事を画策していました。これを期に事を急ぐ事を考えたフランス王は軍を率いて北イタリアに進軍、フランスとイスパニアによる『イタリア戦争』が最も激しくなります」
生「イタリア戦争なのに、戦うのはフランスとイスパニアなのね」
学「この戦争の詳しい経緯や結果などはフランスの回で説明します。重要なのは、この戦争によってイタリアがイスパニアとフランスの戦場になった事、そしてイタリア都市国家郡は協力して大国に対抗する事もなく、両大国に分割されてしまった事です。」
生「そんな中で、唯一独立を保っていたのがヴェネツィアなんんだ。」
学「そうです。次回はヴェネツィア共和国について詳しく説明しましょう。」
大航海時代歴史背景解説第0回・前説
という訳で、大航海時代の時代背景を解説していきたいと思います。今回から数回に分けて、国毎に解説していくつもりです。
が、私がただ文章を書いていくだけでは読む方もつまらないでしょうし、私も苦痛です。なので、講師役と生徒役の対話形式で行いたいと思います。

講師役:ナポリの学者(SS左側・以下学)
生徒役:ポルトガル新米航海者(SS右側・以下生)